浅草岳

1585.4m

(新潟県魚沼市)

2017. 6.24

 
直線上に配置

ネズモチ平登山口→分岐→桜ソネ広場→カヘヨノボッチ(1484.7m)
前岳の肩→浅草岳→前岳の肩→ブナソネコース→ネズモチ平




  ネズモチ平の駐車場は広大だが車がびっしり。
80台くらいあるだろうか?   トイレもある。
 


  ここから林道を歩く。
ゲートがあって車は入れない。
 





ブナソネコースとの分岐を過ぎても広い道路。


山が見えてくると残雪が多いのに驚く。





所々雪解け水が流れている。


奥に見えるのは守門岳。





  サンカヨウ。 朝露や雨などの水分を吸うと花びらがガラス細工のように透明になるというがまだ見たことがない。      透明の花  


  道端に残雪が現れる。 この分ではコースにも雪がありそうだ。 アイゼンは持ってこなかったが、まぁ必要ないだろう。  





タニウツギがとても綺麗に咲いている。








桜ソネ登山口。


ヒメサユリが一輪だけ咲いていた。







登山口の駐車場が見える。







階段を少し上がると皇太子ご成婚記念の鐘がある。 これは濃霧の案内ではなく熊除けかな?





ブナの大木の中を登って行く。


根が露出している。





道は良く整備されている。


このあたりにはイワカガミ群生している。





色鮮やかなものも。


花の名のとおり岩が多くなる。





カヘヨノボッチが見えて来た。 奥は前岳。


景色を見ながら歩くのは気持ちいい。





ゴゼンタチバナ。


アカモノ。





カヘヨノボッチ(1484.7m)三角点


アセビだろうか?







スベリそうな赤土。





木道が出てくる。


道が崩壊していてちょっと怖い。





山頂はまだ遠い。


いよいよ雪渓の横断。














ようやく山頂が近づいた。





ブナソネコースとの分岐。


雪渓の上にも大勢の人たちが休憩している。





ここは木道があるので安心。


ワタスゲの群落。





ここも大賑わい。


すれ違いに時間がかかる。





山頂に到着。  記念写真も順番待ち。


一等三角点。 入れ替わりの一瞬を狙ってパチリ。





田子倉湖。


昼食後下山開始。





断面を見ると残雪の厚みは3m程か?


再び雪渓を通過。







ブナソネコースに入ると雪解け水が流れている。





坂はかなりキツイ。


滑らないようゆっくりと。





ここにもヒメサユリが数輪咲いていた。


つかめる物はなんでもつかむ。





ここで転んだら泥だらけになる。







緩やかになってきた。


水量が多くなる。





沢を渡る。


だいぶ汚れた。





桜ソネコースと合流、靴の泥を落とす。


駐車場着。 車は十数台しか残っていなかった。




翌日、佐藤家、目黒邸を見学しました。



  佐藤家住宅は、今から約250年前の元文3年(1738年)に建てられた農家です。
豪雪地に分布する中門造りの形式を持つ民家の初期の遺例として、またその時代の特性を示す価値が認められて昭和52年1月、国の重要文化財の指定を受け、昭和54年解体修理を行い、建築当初の姿に復元されました。 2016年には茅葺屋根の全面葺替工事を行いました。
この住宅の特徴は、広間型三間取りの本屋に「茶の間」を中心に「でい」(座敷)、「にわ」(土間)からなり、中門をとりつけた形式となっています。座敷まわり等の柱はカンナ仕上げとし、天井を張っていることよりこの地方の庄屋格を持った家柄であったと推察されます。





正面


裏の庭側
  目黒邸は寛政9年(1797年)に建築された割元庄屋の役宅を兼ねた豪農住宅です。
桁行十六間・梁間六間という豪壮さで、野面石で塀を築き冠木門を設けるなど、中世武士の屋敷構えになっています。 昭和30年に新潟県の指定文化財として指定を受け、その後、昭和49年に国の重要文化財として指定されました。 茅を守るため毎日囲炉裏に火を焚いているそうです。(虫が付かないようにするため)
  江戸時代中期の宝暦5年(1755年)糸魚川藩領須原村の庄屋であった8代五郎助は割元役を命ぜられ、以後代々割元庄屋となり、苗字帯刀を許され、扶持を受け、近郷の割元庄屋とともに糸魚川藩魚沼領23ヶ村の大庄屋職を勤め、明治初年に至っています。 15代徳松は明治13年、草創期の新潟県議会議員に選ばれ、国会開設の運動や政党結成に参加し、明治25年には帝国議会の衆議院議員に選出されています。


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